怒涛玉の歴史 其の一
それではここから本格的に怒涛玉の歴史についてみていきましょうw
前述の「因幡民謡芸能連盟」にて3年間活動したのちの2009年(平成21年)に「因州傘舞維新會 怒涛玉」結成!
読み方もう一回確認しておきましょうね、「いんしゅうさんぶいしんかい どときんず」ですね。
ロゴがこちら↓
鳥取池田藩の家紋、「アゲハ蝶」をバックに構成されたなんともイカした(←死語?w)ロゴです!
この、2009 年の第45回しゃんしゃん祭りは、なんと二夜に渡って開催されるという、今となっては異例のように感じるそんな年でした。
怒涛玉は2日目に出演予定なのですが、たぎる血を押さえきれず1日目も皆が本通りに集い前夜祭モード!!
沿道を沸かせます!!(この当時は帯もたずさえていたのですね、良いですね帯。また復活させようかな!)
その後はお決まりのコースで、今夜のメインイベント!!
そう、飲み会!
その名も「行けるとこまで逝っちゃいなスペシャル!!」(いま考えたわw)
何じゃこりゃ!
大広間を埋め尽くす黒の団体!
よう入店させてもらえたなww
盛り上がりもさらに加速していき、
さらに夜は更けていくのでした・・・
この日は二次会以降、4時まで盛り上がったらしいww
さて翌日、昼過ぎに目覚めると、まさかのあの音・・
そう、雨・・・
いやぁ、そりゃ前日雨乞いの踊りを踊られたらそりゃ降るっしょ・・・
まぁ祭りは中止になりましたね(サラッと)
ひと夏を捧げてきたものがこうもあっさり・・「まじか・・・」と
そんなメンバーたちの行き場のない気持ちに一筋の光が・・
有志の団体が交渉してくださりなんとサンロードで踊れることに!!
今にして思えばちょっとした感動秘話なのですがw
それにしてもこの年のシャングリラの始まりが、座ってからのスタートというなんともまぁまた斬新なww(↑2枚目)
この時、交渉にあたってくれたのが現在も活動していらっしゃる「姉妹連」。
現在の「我龍天晴」や「生粋」の源流であることは知る人ぞ知る。(いや、みんな知ってるかなw、ってか載せて良かったかな?こんな話・・・)
こうして因州傘舞維新會 怒涛玉の最初の夏が幕を閉じます。
雨の当日、「やぶきん」にて。
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